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映すは蒼

「ここに連れてきたかったんだ」
 目の前の光景があまりに美しく言葉を失った。石畳は続いている様子だが水が浅く張られた開けた空間。周りには滝がありよりいっそう霧が深くて。水面は星々を映しながら広がり、まるで星空の中にいるみたいだった。
突然水鏡は片膝をつき、こちらに手を差し出した。
「一緒に踊っていただけませんか?」
 なんてな、なんて言いながら恥ずかしさを隠すように照れ笑いする彼の手をそっと取る。けれどダンスなんてしたことがない。そんな不安そうな雰囲気を察してか彼は大丈夫、そう言ってリードするかのように私の手を引いた。
 二人の軌跡に合わせて星々は揺らめいていく。
 腰を引き寄せられて顔が近い。澄んだ蒼色の瞳に見とれていると心臓がいつもよりうるさく自己主張をする。このままだと酸欠になってしまいそうで何か言って気を紛らわさないとダメだと思った。
「ダンス上手なのね」
「昔よく見ていたんだ。君のおばあさんもひいおばあさんも、ずっとずっと昔からパーティーを開くのが趣味だったらしくてね。にぎやかな様子をカガミ越しに覗くのが好きだった」
 確かに私の家は社交パーティーをよく開いていたと聞いたことがある。家の大掃除をした際にその写真が出てきて見たことがあった。けれどその写真は色褪せており時代を感じたのを覚えている。相当昔の出来事だ。彼はいくつなのだろう。人は見かけによらないとは言うがそれにしても年齢不詳だ。
 ずっとここにいるのだろうか。
「ここにずっと一人なの?」
 彼は答えない。ただ微笑むだけだったけれど、その蒼ひとみが揺れたのを私は見逃さなかった。思わず手に力が入ってしまう。私がいるよ。その思いを込めて。
「氷海」
「なに」
「とっても綺麗になったな」
 突然褒められて顔が熱くなった。話をそらすための冗談かと思ったが彼はいたって真面目な顔をしていてつい目をそらしてしまった。自分は案外甘い言葉に弱いのかもしれない。ただ同時に解せないところもあった。
「どうしてそこまで甘やかすの?
子どものころちょっと話したぐらいなのに。ついさっきまで忘れていたのに」
「君は俺に光を与えてくれた」
「……?」
「まあ、鏡は複雑なんだよ」
そういうものか、といって受け入れるには私にとって難解だった。私の何倍も生きていれば悟りの境地に達するものか。わからないことしかなかった。
「寂しくないの?こんな暗いところで」
「寂しくないって言ったらウソにはなるな」
 やっぱり一人は寂しいものか。彼の拭い去れない物憂げな雰囲気は今までの孤独とこれからに対する諦めだと思うと可哀想でしょうがなかった。こんなに優しい人なのに。今までずっと私を見守ってくれた人なのに。彼の背負っている悲しみをどうにかして分け合いたかった。
「じゃあ私ずっとここにいたい。あなたと一緒に居たい」
「それは、だめだ」
彼の脚と一緒に星の揺らめきは止まる。
「ずっと一緒にいることはできない。俺は鏡だ。物でしかなくて、君は人間で。
君には君の人生がある。限りある命を持つ君を俺が独占することなんてしてはいけないんだ。だけど……だけど!」
肩を寄せられ抱きしめられた。水鏡は何かを思い迷ったかのように言葉を詰まらせる。
「俺のことを忘れないでくれ。
いいや、鏡をのぞいてくれるだけでいいんだ。たまにでいい。俺のことをまた忘れてしまったとしても、俺は君のこと見守っているから。
君が笑顔を見せてくれるだけで俺は十分なんだ」
絞り出すような声で言葉を紡ぐ彼の体温はどこまでも冷たくて、抱きしめ返して温めてあげたくて。
寒くないの?温めてあげるから。悲しそうにしないで。そう伝えたかったのにふっと意識が遠のいた。

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